常滑市 榎戸区

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榎戸の民話

 
堤防を守った経石(新田町)
 

(参考文献)  「常滑の城」    吉田弘著     (常滑の史跡を守る会)     1997年発行

 

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人々は、急に改まった宗右衛門さんを何事かと見守りました。

「今度の堤防は、いつもより金もかけて念入りにやってきました。昨年、気の毒にも犠牲となった人
たちも、きっとこの堤防を守ってくれましょう。この上は、犠牲となった人たちの菩提をとむらい、二度
と堤が切れないことを祈って、根石にお経を書いてもらおうと思いますが、いかがなものでしょうか。」

村人たちは、手を打って賛成のきもちを表しました。

さっそく寺の和尚さんにたのんで法華経の経典を一つの石に一字ずつ書き写してもらいました。そし
てその石を埋める作業は、和尚さんの読経の中で行われました。

最後の土盛りをした後、その上に「奉書写法華経塔」の文字を刻んだ標石も建てられました。また、
堤防を強くするための黒松も植えられました。安永五年(1776年)春三月のことであります。

それ以来、ここの堤は、経石の守りがあるためか、めったなことには切れなくなり、年ごとの実りの秋
を約束してくれるようになりました。

地固めのために植えた黒松も大きく成長し、鬼ヶ崎海岸の磯馴れ松(そなれまつ)として知多の名所
ともなりました。そして、四月三日の祭礼の日には、その年の無事を祈って神明社から出た神馬
(じんめ)三頭が、堤防の松並木の間を駆け抜ける「新田まつり」も行われるようになりました。

その後、昭和二十八年四月、榎戸港拡張工事のために経石といっしょに経石塔は、森上の地に移さ
れましたが、その年の9月二十五日、世にいう十三号台風による高潮のため、久しぶりに堤防が
決壊し、美しい松並木の大半が倒されてしまいました。そのため、経石塔は、安政六年(1895)建立
の「大乗妙典一字一石塔」とともにトヤノワダの地に移され、現在に至っています。

この経石塔は、常滑市の文化財に指定され、その地から北に数百メートルにわたって残っている
黒松の並木も、市の天然記念物に指定されました。

秋ともなると黄金の波を打ち寄せる鬼が崎新田は、今日では、新田町の町名を持った住宅地となっ
て、遠いむかしのなごりをとどめるのみとなっています。
 

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